風俗系パネル写真・ナイトワーク系・写メール撮影 専属スタジオスタジオ パネルルーム

営業時間14:00〜23:00
080-5761-5312

□□スタッフ紹介□□


→ 名前:mr.terada(age:62)
パネルルーム責任者
(プロカメラマン 兼 ビデオ&写真撮影プロデューサー)

「レンズを通して仕上がった人物写真は、真に人生の魂の伝達である」

21歳の時、フィリピン・セブ島にてスキューバダイビングを始めて以後、海に魅せられ
日本国内はもとより沖縄全島、環太平洋の海を潜り歩く。
25歳で沖縄海洋博開催を機に、カメラを持ち国内外の海の写真を撮り始める。
プロカメラマンとして海洋生物を撮影するほか、海底測量、地形図作成、海底調査、ケープダイビング撮影を経験。
ダイビング事故に遭遇し挫折感を抱く反面、マンタの雄大な姿に魅了され・サメの捕食を目前にして、
自然の厳しさにショックを受ける。
現在もなお、国内外の戦没者の慰霊写真、海洋写真をも手掛け、ビデオ・写真家としても依頼を受ける。
大阪湾沿岸地域の海底生物調査など活動中の62歳。

被写体が静止しない海洋生物撮影を通じ、瞬間的なカットを捉える技術を習得。
その技術を活かし、友人からの依頼を受けて数万枚に及ぶ風俗嬢のパネル写真を撮影してきた経歴を持つ。
パネル写真の他、ブライダル・七五三等の出張撮影も数多く請負って来た。
その後、スタジオ・パネルルームを立ち上げるに至る。

facebookアカウント:topdiver.m.terada




→ 安井道頓碑&ライオンタワー

「道頓堀」由来の言葉ひとこと


道頓堀は江戸時代のはじめ、安井道頓という人物が自然の川を運河として整備したものです。
開削者の名を取って道頓堀と呼ばれるようになりました。
江戸時代にはいるとすぐに、幕府の都市計画によって、道頓堀の南側に大坂中の芝居小屋が集められ、
長らく日本の芝居の本場として栄えてきました。
芝居に人が大勢集まることによって次に繁盛したのが食べ物屋でした。
そして大坂の町人の食い道楽を具現する街として、道頓堀は日本最大の食の街としても栄えてきたのです。
1699年には、いろは47軒の水茶屋が免許されて軒を連ね、現在の道頓堀の花街あいまって、
町人文化の核となったのです。

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